パパのこと〜事故からリハビリ〜
元気だった頃のパパは、頭が良くてママ思いの、企業に勤めるサラリーマンでした。

昭和58年12月、日曜日に自宅の屋根のペンキ塗りをしていたパパは、足を滑らして道路に転落しました。
ドスーンッというものすごい音がしたので、外へ出てみると耳から血を流したパパが道路にうつ伏せに倒れていました。うーうーといびきのような声を出していた記憶があります。
そこから退院してくるまでの私の記憶はほとんどないので、ここからはママに聞いた話。

県内の大学病院に運ばれて手術を受けました。頭蓋骨骨折・脳挫傷・硬膜外血腫。
あとから聞いた話ですが、この時手術をして下さった先生はとても腕が良かったそうです。本当なら助からないところを助けていただきました。
昏睡状態が一ヶ月半続き意識が戻りました。4月には水痘症がひどくなり頭にポンプを入れる手術をしました。この手術をしたことで寝たきりの状態から、体を起こせるようになりました。
外科的治療が終わったので、退院しました。パパは意識が戻ったものの、言動はおかしく、もとのパパとは別人でした。病院からは何の説明もないまま退院したので、この時ママはパパは治るのだと思っていたそうです。
私にはパパが初めて家に帰ってきた日の記憶があります。ヘルメットをかぶって車いすに乗っていました。パパの頭がおかしくなった‥‥というのもその時、直感したように思います。

左半身マヒという身体障害があったので、その年の9月から静岡県のリハビリ病院に入院しました。神奈川県内のリハ病院には受け入れ先がなかったのです。
当時は病院関係者にも脳外傷や高次脳機能障害という知識がなく(今だって理解は薄いですが‥‥)、脳の訓練よりも身体機能の訓練が行われました。おかげさまで自力歩行が出来るまでに快復しました。1年半入院しましたが、頭の状態は良くなることはなく、パパの頭は治らないのだと家族も理解しはじめました。そこで退院し、自宅での生活が始まったのです。

当時は病院のケースワーカーという職業が今ほど機能していなかったように思います。
病院からは障害についての説明や、今後の生活についてのアドバイスは何もなかったのです。
何の説明もないからママはパパが治ると信じて退院したのです。
退院してしまったら今度は病院とは縁が切れてしまうのです。近くの脳外科に薬をもらいには通いますが、相談する相手もいないままの生活が10年以上続くことになるのです。
病院には退院した後も連続したケアをすることが必要だと私は考えます。

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