ずいぶんと「高次脳機能障害」という言葉を使ってきましたが、この言葉を知ったのはたった5年位前なのです。
テレビでたまたま名古屋の脳外傷者のドキュメントをやっていて、そこで名古屋にそういう患者を抱える家族の会が出来たことを知りました。テレビ局に問い合わせ、病院の連絡先を聞き、会の情報を求めました。
そうしたら、なんと神奈川県でも家族会を立ち上げる準備をしているというのです。その活動の拠点となっていた県内のリハ病院に連絡を取り、私は家族会に係わっていくことになったのでした。
そこで初めてパパのような障害者が他にも沢山いること、パパは「高次脳機能障害」という障害であることを知りました。
退院して10年以上、パパと暮らしていくことに必死で、そんなことは何も知らずに過ごしてきたのです。
そして、脳外傷の専門の知識を持つ病院ではじめて診察を受けたのでした。
まず「頭のポンプのメンテナンスはしていますか?」「1年に1度脳波の検査はしていますか?」と聞かれてビックリ(@o@)そんなこと今まで一度もしたことがなかったし、薬をもらいに10年以上通っている脳外科からも言われたことがなかったのです。
それまでパパを診察していた先生は、内科のお医者さんだったのです。こんなに大きい脳障害を持っているのに、10年以上も前に手術をした病院で脳外科の手を放れてしまっていたのです。それを知ったときはショックでした。
また、病院は万能ではない。患者が働きかけなければ、良いお医者さんを選んでいかなければ情報は得られないということを初めて悟りました。
そのリハ病院で「パパが夜も徘徊を繰り返し、家族が眠れないのだ」ということを相談すると、弱い安定剤を試してみましょうということになりました。
パパが夜寝なくて困るという訴えは、10年通っていた脳外科にもさんざん相談していたのです。そこでは1度安定剤が処方されたのですが、それを飲んだパパは足がフラフラ、意識もモウロウ‥‥という状態になってしまったのです。なので、私たち家族は安定剤はそういう副作用をもたらしてしまう薬だと思って、あきらめていたし、他に病院側から解決策が提案されることはありませんでした。
パパを眠らせる方法のないまま、ママは10年以上睡眠時間1〜2時間。3時間寝られればバンザイ、という生活をしていたのです。
でも、なんとっっ、そのリハ病院では弱い薬から徐々に試していけばよいというのです。なんだ、解決策はあるのではないかっっ。今まで、10年間の生活はなんだったのだろうと思いました。
結局は足の不自由なパパにはちょうど良い具合の薬が見つからなかったのですが、親身に相談に乗ってくれる先生達に出会えたことをとても嬉しく思っています。 |